過去を振り返らず、すべて一から考えて開発する――これがAS/400(IBM i)の生みの親であるフランク・ソルティス氏らが燃えるような思いで胸に抱いていたことでした。
前回のAS/400 20周年セミナーでのソルティス氏の講演でもそうでしたが、ソルティス氏がAS/400を語るときはその前身のシステム/38がセットで、とりわけルーツに触れるときはシステム/38から始めるのが常であるようです。
ソルティス氏の著書『Inside the AS/400』には、次のように書かれています。
「1988年には、AS/400もシステム/38と呼んでもよかったのです。実体は、システム/38に新機能を多数追加して再パッケージングしたものでしたから」。
「名前の変更を選んだ理由は3つありました。1つはシステム/36のお客様の注意を喚起したかったからで、システム/38の名前のままでは目を向けていただけなかったでしょう。2つ目は、新しい名前にするとマスコミに採り上げられることが多くなるからです。(中略)最後は、IBMの経営陣の多くは、このシステムの中身がシステム/38だと知らなかったからです」
「IBMの経営陣は、私たちがたった26カ月(注:原文のまま。28カ月の誤植か)でまったく新しいシステムを作ったと思っていました。Silverlakeプロジェクトはロチェスターにとって驚異的な成功でしたが、今でも一部の人が信じてるような、まっさらな状態から開始したわけではありませんでした。システム/38を他のハードウェアに入れて、新機能をたくさん追加したのです」
おそらく、ソルティス氏の見方が、技術的に見て、AS/400の本質を突いているのでしょう。ただし、そうであるとしても、「新システム/38(=AS/400)」が、旧来のシステム/38では実現できなかった技術的達成を加えたのであれば、システム/38にこだわらなくてもよい、とする見方もあるように思えます。
実際、たとえばOSの規模で比較すると、AS/400(OS/400)はシステム/38の3.5倍以上の700万行以上に膨らんでいます(システム/38は約200万行)。しかしながら、それでもなお、ソルティス氏は「AS/400はシステム/38の拡張版」と言い切ります。そこに、ソルティス氏のコンピュータ・アーキテクトとしての面目を見ることができるように思えます。と同時に、AS/400のアーキテクチャはシステム/38にあり、そのシステム/38のアーキテクチャは私が開発したものという、技術者としての強烈な自負を見ないわけにいきません。ソルティス氏は次のように書いています。
「ひどく寒い1970年1月8日の木曜日、私は革命的な新しいコンピュータ・アーキテクチャのプロポーザルをロチェスター研究所の経営陣に提出しました。「ハイレベル・マシン・インターフェース」がそのプロポーザルの基本部分でした。アドレッシングの構造は、単一レベル記憶といい、私が博士論文にとりかかる前の年に進化してきたものです」
「新しいアーキテクチャの陰にある多くの考えは実に急進的でしたが、ロチェスター研究所の経営陣は、(中略)新しいシステムのための専門グループを結成することを喜んで承諾してくれました。(中略)私の役目はこの新しいシステムのアーキテクトになることでしたが、この役目を四半世紀以上も続けることになろうとは、その当時私はまったく思いもしませんでした。(中略)1978年10月24日に私たちは新しいシステムを発表し、それをシステム/38と名付けました」
次回は従来のマシン・インターフェースとソルティス氏が考案したAS/400(IBM i)のマシン・インターフェースに触れてみます。
[iS Technoport]