前回の掲載以降、いろいろ調べている中で、43年前に発表された「IBMシステム/38」のニュースリリースを見つけました。日付は1978年10月25日。IBM iの“父”、フランク・ソルティス氏が「革命的な新しいコンピュータ・アーキテクチャ」と胸を張ったマシンです。
今回は、そのニュースリリースからポイントを書き写してみます。
「日本アイ・ビー・エム株式会社(稲垣早苗会長)は、25日、テクノロジーおよびプログラミング面において著しく進歩した汎用コンピューター、IBMシステム/38を発表した。
IBMシステム/38は、そのハードウェアおよびプログラミング上の革新により、情報の流れを拡大し、高速化するとともに、大型コンピューターで可能であった諸機能をコンパクトなシステムで実現した。
IBMシステム/38は、強力な新しい経営上のツールであり、オンライン業務に適した進歩したアーキテクチャーを採用しており、コンピューター・コストを低減させることができる。(中略)
IBMシステム/38は、高度で使い易い次のような機能を提供するので、情報処理の経験が豊かなユーザーにも、新規のユーザーにも適したものである。
新システムは、データ・ベース、仮想記憶、オンラインによるプログラマー・サービス、最高40台のワーク・ステーションの直接接続など、大型システムによって可能であった諸機能をもっている。
新しいオペレーティング・システムである制御プログラム機能(CPF)は、システム操作やシステム資源の管理の負担の多くをユーザーの手からコンピューターへ移し、ユーザーの負担を軽減させる。現在広く使用されているRPGⅡプログラミング言語を拡張したRPGⅢ、使い易いデータ・ベース機能とオンライン・プログラミング機能によって、ワーク・ステーションにおける適用業務の開発・維持・拡張の生産性が更に向上することになった。
IBMシステム/38は、仮想記憶に基づく、単一レベル記憶管理と呼ばれる独特の記憶管理機構を採用している。これによって、システムは主記憶機構および磁気ディスク記憶機構を単一の非常に大きな仮想アドレス記憶域として管理する。従って、ユーザーは、一時域、プログラム・オーバーレー、区画、ボリューム・ラベル等の記憶機構管理に対する配慮でわずらわされずに済む。
IBMシステム/38は中央の情報を種々の形式や順序で容易に取り出せるデータ・ベースを構築することができる。例えば、あるユーザーは商品在庫レコードを商品番号によって、別のユーザーはその同じレコードを取引先番号によって取り出すことができる。
IBMシステム/3のプログラムをIBMシステム/38のプログラムに変換するプログラムと手順が用意されている。(以下、略)」
このリリース文にははっきりとは書かれていませんが、システム/38は世界で初めてリレーショナル・データベース機能を内蔵したマシンでした。そして何よりも重要だったのは、ハードウェア独立のアーキテクチャ(TIMI)と、48ビットのアドレシング機構を持つ単一レベル記憶を備えていたことでした。これは、AS/400からIBM iのハードウェア構成に受け継がれていきます。
また、上記リリース文には「システム/38は最新の半導体テクノロジーを使用」と題した「補足資料」が付けられています。
43年後の今年(2021年)、新世代のプロセッサを搭載したPower10サーバーが発表されましたが、IBM i(Power Systems)と最新の半導体テクノロジーが切っても切れない関係であることが43年前のニュースリリースでもうかがい知ることができ、非常に興味深く思えます。
「IBMシステム/38は最高密度(当社比)のメモリー・テクノロジーを採用している。さらに、これまでのシステム/3では最高25回路/チップの論理回路を使用していたのに対し、新システムでは最高704回路の新論理チップを採用している。半導体の進歩がシステム/38の高性能、高信頼性および小型化を実現するのに不可欠であった。
従来の8Kビットのランダム・アクセス・メモリー(RAM)モジュールにかわって、システム/38では64Kビット・チップ4個を使った最高256KビットRAMモジュールを採用している。これはIBM製品のなかでは最高密度のものである。(中略)
この新テクノロジーにより、IBMシステム/38の中央演算処理部分は10×15インチのプレナー・ボードに実装された。IBMシステム/3の場合、チップ当たり最高25回路、処理速度8~12ナノ秒であるのに比較すると、新しいチップは約28倍高密度で回路当たりの設計処理速度は3~5ナノ秒である」
しかしながらシステム/38は、以上のような最先端の技術と機能を備えたマシンであったにもかかわらず、最初から“つまづき”の連続でした。まず、性能に問題があることが判明し、初出荷は当初の「1979年第4四半期」から約1年も遅れます(1980年7月にようやく出荷)。その上、マシンとしての人気に火がつかず、世界全体で獲得したユーザー数は約2万という低調ぶりでした。この数字は、システム/3以降のシステム3xシリーズのユーザー数の10分の1以下だったと言われています。
満を持して投入したシステム/38の不評に危機感を募らせたIBMは、1982年になって、当時IBMのミッドレンジ分野で販売されていた5種類の非互換コンピュータを統一する「Fort Knox」プロジェクトをスタートさせます(第3回「『シルバーレイク・プロジェクト』のスタート」参照)。そして、このFort Knoxプロジェクトも頓挫してしまい、その渦中から始まったのが、AS/400の開発プロジェクト「シルバーレイク・プロジェクト」でした。[以下、次号]
[iS Technoport]